極北に駆ける

●以前、イヌイットの料理キャビックについて書きました。
キャビック伝説
植村直己が南極での3,000キロの単独犬ゾリ行について書いた「極北に駆ける」にその詳しい描写がありました。その本屋にはなぜか植村直己の文庫本が3冊もありました。

「お前に食べさせるために、妻がキビア(小鳥のアザラシづめ)を用意したんだ。さあたくさん食べてくれ」


 ターツガの指さすほうを見ると、なるほど腹をぬいあわせたアザラシが一頭ころがっている。皮下脂肪だけを残したアザラシのなかには、黒い羽毛がついたままのアパリアスという小鳥が四百羽ほどつめこまれているのだ。奥さんはかたく凍ったアザラシの腹を裂き、アパリアスをとり出してわたしてくれた。凍ったアパリアスがだんだんとけていくにしたがって、ブルーチーズのような強烈な臭いが部屋中にひろがってゆく。糞の臭いに似ていないこともない。私はゴクリとのどをならした。これがじつにうまいのである。


 私はアパリアスを両手でつつみ、冷たいのをガマンして臓物がとけてくるのを待つ。手でおさえてやわらかくなったところで、アパリアスの肛門に口をあて、手でしぼり出すようにして中身を吸うのだ。ちょうど冷たいヨーグルトのような味の赤黒い汁が口のなかいっぱいにひろがり、なんともいえないうまさだ。中身が終わると羽毛をむしり、皮や黒く変色している臓物、肉と食べてゆき、最後に頭を歯でくだして脳ミソを吸う。口のまわりは黒い血でベトベトである。アザラシの皮下脂肪の浸透したアパリアスほど臭いが強く、うまい。私が日本に帰って一番食べたいと思ったのは、鯨の皮でもアザラシの肝臓でもない、このキビアであった。今でも月に一度くらいはこのキビアの夢を見る。

●長い距離を犬ゾリで単独行してきた植村に、集落の人がキャビックを出してくれた場面です。この本、とてもおもしろかった。
 

極北に駆ける (文春文庫)

極北に駆ける (文春文庫)