あとのない仮名

山本周五郎の小説は我慢に我慢して花を咲かせるとか、無名の人間の誰にも気づかれない心意気を取り上げるものだと思っていたので、読んで驚いたのがあとのない仮名。それも晩年の作品と知ってびっくり。

●おもしろかったのは男から見た女についてで、源次はIKEMENで女の方から口説いてくるのが普通。ほとんど漫画みたいなモテ方をしてます。いろいろあって女嫌い(というか人間嫌いか)になり、かつて抱いた女のそれぞれもさほど覚えてません。その中におすがという女がいて、福太という男が彼女に惚れていました。福太はろくに口をきいたこともない彼女に惚れていて、華奢で純粋な娘と思い込みいずれ夫婦にと考えていました。しかし源次から見たおすがは色事の好きな女の1人にすぎませんでした。

●あとのない仮名はいろはの最後、ゑいもせす、で醒めた源次の心境だそうです。もう後が無い源次の人生も意味してると思います。

向田邦子山本周五郎を認めなかった、と山口瞳が書いてます。

そのことについて話しあったことはないけれど、山本周五郎におけるある種の甘さとか妥協を嫌ったのではないかという気がしている。

あとのない仮名はそういう意味では山本周五郎の傾向とちがうのですが、これも認められなかったんでしょうか。

●というようなことを考えて他の人の感想を見ようとネットをうろついていたら、源次が放り出した妻子の苦労が気になって源次に同情できなかった、という趣旨の女性の感想を見つけました。俺は逆に源次の気持ちにばかり気をとられてその発想がなかった。やはり男は甘いのか。

あとのない仮名 (新潮文庫)

あとのない仮名 (新潮文庫)