ディアスポラ

グレッグ・イーガンの「ディアスポラ」に登場するヤチマというキャラクターについて書こうと思っていたのですが、やはり手に余りました。予備知識なく読むほうが楽しいので、切ります。

ディアスポラ (ハヤカワ文庫 SF)

ディアスポラ (ハヤカワ文庫 SF)

 

●ヤチマは仮想現実都市(ポリス)で生きるソフトウェアです。といってもAIではなくて人間ですが、ここまで科学技術が発達してるとその区別はつきません。彼は仮想現実の中で創造されており〈孤児〉と呼ばれます。肉体を持たず、持った経験もないので性別はありません。彼と書きましたが、原文では he でも she でもなく三人称単数の ve が使われているのだそうです。

●ヤチマにかぎらずソフトウェア人格は肉体を持つ人間とはちがった性質を持ちます。同じ著者の「順列都市」にも共通するアイデアですが、例えば彼らは自分で自分を上書きできます。感情を瞬間に切り替える、記憶を消す、性格を変える、といったことができます。要はパラメータの設定次第なんですね。自分を休止することで時間を飛ばすこともできます。ヤチマ視点で見た肉体を持つ人間の欠陥と不合理さには笑わされます。まあ肉体を持つ人間が出てくるのは前半だけですけど。

●自分のコピーを作ることもでき、再統合することもできます。ディアスポラには多くのポリスが宇宙のあちこちに向けて飛び立つ場面があり、ヤチマや多くのソフトウェアがそれぞれのポリスに自分のコピーを乗せました。コピーと言ってもみな同じで、分かれてからの経験だけがちがいます。自分のコピーが死んだという連絡を受けても、なぜそんなことをしたのか理解できなかったりする。“私”という主観を持つ、大勢の私がいるわけですね。イーガンお得意のトリックです。

●恋人どうし、気の合ったものどうしがお互いのデータを分け与えた次世代、子供に相当するソフトウェアを作ったりもできます。あるいは単体でも次世代を作れる。ジェンダー問題も解決です。ただヤチマは無性なせいか、そういう性分なのか、恋愛している場面がありませんでした。

●こういう状況で“私”とは何でしょうか? いかようにも変われる以上、その選択だけが“私”だということになる。そして膨大な旅の果てに(こんなに移動する話を他に知りません)、“私”とは? という問いに対するヤチマの答があります。