神力と使徒
●昨日のプランジャーラの記事を書いていて、なんとなく神力のあり方が腑に落ちました。神力という魔術体系は神の加護を祈るのではなく、神に与えられた術を使いこなすのでもなく、神になるんですね。プランジャーラの帰依者が異界で病床に横たわって病に苦しんでいるとき、彼女(彼)=プランジャーラではないでしょうか。
●それで、例えば入信者は時間や私財の30%を神に捧げる、帰依者は60%を捧げる、などと表現されるのは“あなたは30%神で残りの70%があなたです”ということだと考えればわかりやすいです。冗談めかしてシンクロ率と言いましたが、けっこう当たってるのでは。
●60%神の帰依者の上に使徒がいます。信者としては最高の度合いで、人生の90%を神に捧げます。言わば、ほぼ神。もちろん誰でもなれるものではなく、厳しい条件を満たさなければなれません。
●このレベルの人間(?)がどんななのか、わかりやすいのが死の神フマクトの使徒です。フマクトの使徒は「死の剣(Death Swords)」と呼ばれます。彼らの周囲には死の力が放射され、植物は枯れ、子供は弱り、衰弱した老人はぽっくり逝きます。つまり力が漏れてる。また、死の剣は大殺戮を引き起こすことがあります。3つの例が載っていましたがその1つを。
●帝国の時代、死の剣の恐ろしきジョノンロール(Jononrol Fearsome)は、彼を恐れた3つの町の住人を皆殺しにしました。ジョノンロールの叫びは「私を恐れるな、命そのものを恐れよ」というものでした。彼を止められたのは同じ時代の冒険者オーランスの使徒(「風の王(Wind Lord)」と呼ばれる)、偉大なるへランド(Great Herand)だけでした。へランドは死を恐れておらず、生きることを愛していたからです。
●90%も神だと人間の理屈をこえて、むき出しの力そのものに近くなるようです。