柱頭行者

Epikt2007-12-16

●日本語版「ヒーローウォーズ」の悟法の説明では、非実践派のPCが薦められない理由として「ほとんどのRPGプレイヤーは、方丈で半紙の切れ端に小さな文字で自分の名前を何百万回も書いているような法士よりも、武術家をプレイしたがると思われるためである」と書いてあります。悟法の修行には、面壁九年の達磨大師に通じる東洋の神秘思想が大きく影響しているようです。

●非東洋思想系としてはシェン・セレリスなどの苦行派? があるらしく、この一派は肉体の苦痛を通じて悟法を鍛錬します。これは同人誌で得た知識。地球の話だと苦行はインドの行者がやってますね。あれ、インドならやっぱり東洋思想なのか。

●西欧の方はどうだっけかなと考えて、映画「薔薇の名前」に修道士が自分を鞭打ってる場面があったのを思い出しました。あれも苦行と言えるでしょうか。それともう1つ、柱頭行者というのがありました。

●手持ちのええ加減な事典から柱頭行者の説明を一部抜粋しますと、

 柱頭聖人、または柱頭隠者ともいわれるが、これはだいたい東方教会において四世紀から十世紀まで存在した独修士で、柱や塔の上に住んで節欲修行した人々のことである。ふつうは数フィートの柱の上に台があり、その上に小さい小屋があって、その中で暮らしていた。
 柱頭隠者のなかで、とくに有名なのは、二人の聖シメオンであるが、大シメオンと呼ばれる聖者は、シシリアで生まれ、隠修士となってから、全く孤独をもとめて柱の上に住み、柱の高さをだんだん高くして、ついに六六フィートにもした。その柱の上に幅三フィートの台をつけ、ここで、じつに三七年の余生を送ったといわれている。

本当にずっと柱頭暮らしだったかは怪しいですが(食事を差し入れしてもらって、まったくの孤独と言えるかね)。祈祷なんかのときだけ柱頭に上がったという説もあるらしい。

●高い所にいる賢人(隠者)というイメージは実はわりと一般的な気がします。さっきのインドの行者にも樹上で暮らす、という型の人がいたそうです。イタロ・カルヴィーノの「木のぼり男爵」もこのイメージの流れじゃないでしょうか。グレイル・クエストにも“バサルト石柱の哲人”という珍キャラが登場するのですよ。

●右上の画像は施川ユウキの「がんばれ酢めし疑獄!!」2巻の「賢者のいる木」の1コマ。