ゲーム、物語、中毒性

阿佐田哲也色川武大

「私は同じ頃、単語のカードで力士をたくさん造り、やはり番付があって、サイコロを振って勝負をきめ、その一人一人の出世や転落を眺めて一喜一憂した。細部はちがうが大筋は同じ遊びである。結果は勝ちと負けしかないけれど、この遊びになれてくると、そこに一人一人の全生活が集約されて見えてくる。そうなればこのゲームに中毒してきてとてもやめられない。私はこのゲームを推進させるのに時間を奪われて、寝食を忘れた。」
 
「私たちのは、選手と観客、それにアナウンサー、この三役を兼ねそなえられないものには興味を示さないのである。その中でも特に観客、観察者の立場が重要で、この三役を兼ねそなえた、つまり神の立場のようなものに固執するのである。」
 
阿佐田哲也阿佐田哲也の怪しい交遊録」川上宗薫さん
 

「もうとっくに煩瑣に耐えられなくなっていたし、倦きたし、馬鹿馬鹿しくもなっているところがあった。それ以上に、すべてを動かすとなると実行不可能だった。ところがそれがやめる理由にならないのである。現実というものが、そもそも煩瑣で、退屈で、阿呆らしくて、どうにもならないもののように思える。自分が生きている以上この遊びもやめられない。」
 
色川武大狂人日記
 

狂人日記 (講談社文芸文庫)

狂人日記 (講談社文芸文庫)

高橋源一郎

「まず、同じくらいの厚さの文庫を二冊用意する。例えば『暗夜行路』と『南回帰線』。背表紙を破り、のりづけを剥がし、全ての頁をばらした後、『暗夜行路』の第一頁、『南回帰線』の第一頁、『暗夜行路』の第二頁、『南回帰線』の第二頁と交互に重ね合わせて第三の小説『暗夜回帰線』を創り上げる。そしてこの2つの独立した物語を同時に書かねばならなかった作者の意図をさぐりながら読みはじめる。」
 
「まず本を三冊用意する。先刻と同じ要領で全頁を分解し、そして独房一杯にばら撒くのだ。そして目を閉じ、あらかじめ決めた枚数だけ拾い上げ、トランプのように入念にシャッフルしてから、おもむろに読みはじめる。もちろん、一つの物語として。」
 
「「もう止めた」とわたしは言った。「こんなもの、もう面白くねえや」と。脱落したわたしを残して、創造的読書の階梯を進んでゆく同志たちのうしろ姿を見送った。そして、疲れ果てたわたしが独房で睡りこんでいる間に、かれらは本当にどこまでも突き進んでゆき、病いであると宣告され、今では精神病院のベッドの上に居るのだが、それはもちろん、退屈さをまぎらわす創造的読書の階梯の一つにすぎないのだ。」
 
高橋源一郎ぼくがしまうま語をしゃべった頃」 言葉に飢えていた
 

イタロ・カルヴィーノ

「初めのころ、私はただ脈絡もなくカードを並べてゆき、そこに何らかの物語を読み取ろうとした。」
 
「しかし、どの場合にも重要な札がはみ出したり、余分の札が手に残ったりしてしまった。タロットで描き出される絵図はしだいに複雑をきわめ(やがて三次元の相貌を帯び、立体的になり、多面体となって)、ついには私自身がそのなかに迷いこんでしまうのだった。」
 
「ついにあきらめて、私は何もかもそのままに放り出し、別の仕事をすることにした。もはやこれ以上、時間を費やすのは、正気の沙汰ではなかった。」
 
「この崩れやすい砂の斜面にふたたび呑みこまれて、私は物狂おしい凝り性の罠に落ち込んでいった。ある夜は、今度こそ決定的な修正を見つけようと意気ごみ、夜更けまで、目を輝かせて果てしない変更を連綿と繰り返した。また別の夜には、ついに完全な定理を発見しえた安堵とともに寝床につき、翌朝、目を覚ましたとたんに、それを破り捨てたりした。そして本書の校正刷りを受け取ってからも、しきりに手を加え、絵図の一部を動かしては、物語を書き直しつづけている。願わくば、本書が完成した暁には、この厄介な網の目から抜け出せることを……それにしても、これでほんとうに良いのであろうか?」
 
イタロ・カルヴィーノ「宿命の交わる城」日本の読者のために
 

宿命の交わる城 (河出文庫)

宿命の交わる城 (河出文庫)