首長と王

●なんか本当に今さらですが、中沢新一の「カイエ・ソバージュ2 熊から王へ」を読んでいて、首長と王はちがうのだ、というあたりでヒザをうちました。

オーランス人の部族が戦争をするときになぜ部族の構成そのままで戦争に移行しないのか、戦王や戦の長の存在理由がよくわかりませんでした。たんに族長は老人が多いからとか戦争技術の問題と考えていたのですが、族長というのは性質として戦争の機能を持たないんですね。人徳による教化や調整/調停や贈与がその役割なのだとか。

●すると戦士のPCが戦の技量を究めて族長になるまでのキャンペーンというのは、いかにもありそうですが、部族社会としてはおかしかったのか。

●あとこの手の本を読んでて気になったのはオーランス人の時間の感覚です。1年周期で時は繰り返すもの、だとしたら600年に1度あらわれる混沌の親玉、みたいな概念は頭の中でどうなってんだろう。
 
 

熊から王へ カイエ・ソバージュ(2) (講談社選書メチエ)

熊から王へ カイエ・ソバージュ(2) (講談社選書メチエ)