ランカー・マイと啓発

Epikt2010-01-04

オーランス人の中で一番啓発される危険性があるのはランカー・マイ信者だと思うのです。というより、ランカー・マイ信者は日常的に読み書きしているにも関わらず、どうしてあんなにオーランス人でいられるんでしょうか。読み書きによって頭の中と現実の乖離が始まり、それは世界の客観視につながる可能性が高い、のでは。

●読書の弊害と自我の関係について、中島敦の作品を読んでいて考えるのですが、たとえば「文字禍」という作品には「歴史とは、昔、在った事柄をいうのであろうか? それとも、粘土板の文字をいうのであろうか?」という疑問が出てきます。書き漏らされた事柄はどうなるのか。それは在ったのか無かったのか。ランカー・マイ信者ならどう答えるでしょうか。

●「俺らが忘れてもランカー・マイ様が覚えてるから問題無い」と答えそうな気がしてきました。ランカー・マイが知っていることは在ったこと、という解釈。なるほど、これは神教徒でいることの有利な点ですね。