銀の鍵の門を越えて

Epikt2008-06-06

● mallion さんのところでルナーの啓発について詳しくやっておられます。
ルナー帝国の〈啓発〉(2) - まりおんのらんだむと〜く+
そのコメント欄で alley-cats さんが“「ルナー啓発というのは「世界は混沌から生まれた以上、自分も混沌の一部だ」と覚ることなんだよ”とコメントされてます。

●それは正しい(笑) コメントを見て思い出したのですが、H・P・ラヴクラフトの「銀の鍵の門を越えて」という作品に Sevening の儀式が出てきます。いやちがうんですが、なんだかすごくそっくりなことに今、気がつきました。「銀の鍵の門を越えて」のネタバレになるので隠します。


●「銀〜」にはヨグ=ソトースの化身であるタウィル・アト=ウムルが登場します。クトゥルフ神話RPGの怪物資料本「マレウス・モンストロルム」ではこの存在は次のように説明されています。

ヨグ=ソトースの姿の一つであるタウィル・アト=ウムルは古ぶるしきものである。門の守護者にして導き手であるウムル・アト=タウィルは、ふさわしい旅人に究極の門を提供し、通り抜けるに値するものに参入の儀式を執り行うものである。

「銀〜」では有名な探索者ランドルフ・カーターが啓発(笑) されます。

●儀式は〈第一の門〉と〈窮極の門〉を通り抜け、〈最極の空虚〉で真理を学ぶことを目的とします。タウィル・アト=ウムルを筆頭とする古きものたちが導きます。導き手無しで真理に直面すれば、人間は破滅します。

●〈窮極の門〉を抜けたカーターは過去世と来世のすべての自分、転生する魂としての自己を認識します。恐ろしいことにこの転生には他の惑星や宇宙の生命体、植物などもふくみます。そのような来世と過去世を持つ今の自分、ではなくすべての自己が同等です。最極の空虚では時間に意味はありません。“インドの寺院に彫りこまれた手足と頭を多数備える彫像に変化してしまったかのよう”で、いきなりこの状態に追い込まれていれば、カーターは自己を滅却していたといいます。

●さらに儀式は進み、カーターは“カーター自身の一部でありながらも、同様にあらゆる時間と共存しあらゆる空間とかさなりあうようにも思える個性の力”を感じます。ルナーの啓発で言えばこれは全とつながる7番目の魂であり、七母神では待つ女ですが、クトゥルフ神話ではヨグ=ソトースです。この認識を得たカーターは〈一にして全〉〈全にして一〉の状態にあります。

●これで全てのものは不滅の1つのもの(ヨグ=ソトース)の断面にすぎない、という結論にいたるならわかるんですが、なぜかラヴクラフトは原型は1つではない、としてるんですね。ヨグ=ソトース以外にも原型はあって、そっちの系統に連なる転生体もいると。なんか一周した選民思想を感じますが。

●この境地に達したカーターは“そして地球小神たちの矮小さと見かけだおしの空虚さを、その人間じみた卑しい好奇心や情交とともに示され”、地球の神すらも見下ろす立場となり、
「〈真実の人〉は善悪を超越せり」
「〈真実の人〉は〈全にして一なるもの〉のもとに進みたり。〈真実の人〉は〈幻影〉こそ〈唯一無二の現実〉にして、〈物質〉こそ〈大いなる詐欺師〉なることを学びたり。」
ということになります。

●ルナーの啓発とラヴクラフトに共通する神秘思想のモデルでもあるんでしょうか。