晏子

●昨日のオーランスの不在の神話ではオーランスが追放されることについて、ヘドコーランスとスタークヴァルが対照的な反応をしています。ヘドコーランスはオーランスが追放されることに憤慨し、軍勢をもって嵐の村を制圧したらどうかと言います。スタークヴァルはあくまでも法に従い、近侍の立場から、もし追放期間中にオーランスが戻ってきたら殺すことまで容認します。

●それで連想したのが晏子(あんし)です。古代中国の名宰相と言うと斉の桓公を覇者にした管仲らしいんですが、管仲から150年ほどたってから同じ斉に晏子(晏平仲)というこれまた名宰相が現れます。羊頭狗肉の元になった「牛頭馬肉」や、「橘(たちばな)化して枳(からたち)となる」、など日本でも故事として残っている多くのエピソードを生んだ人です。といっても俺の知識は宮城谷昌光の小説で得たものがほとんどですが。

晏子の思想で斬新なのは“社稷の臣”という発想です。社稷については司馬遼太郎の「項羽と劉邦」で説明されていました。「社」は国土の守護神、「稷」は五穀の神の神で、社稷と言うときは国の神を指し、国家そのものを意味するようです。

●それで晏子は大臣(貴族)や官僚、役人、王ですら社稷に仕えるものだ、と考えました。当時は王の絶対権力が揺らいで貴族の力が強くなり、国内での権力闘争も激しくなっていました。晏子社稷に仕えるという立場から、自家の利益をはかったり、貴門同士で閥をつくったり、国内で権力争いをすることは無用であるとしました。彼の凄みは王に仕えているのではない、というところかもしれません。

●現代までの歴史を含めてもそんな風に考えられる人間は圧倒的に少数でしょうし、斬新すぎます。古代から人間は義理と人情の板ばさみだったので、その中で理想を貫ける人はやっぱり偉人ですね。

●それはそれとして、晏子のエピソードは面白いです。晏子は霊公、荘公、景公の斉の3代の君主に仕えましたが、最後の景公に一番長く仕え、彼の時代に宰相となりました。「晏子春秋」という書物があって、これは晏子に仮託して理想の政治や君主論を説いた書なんだそうです。まあ創作なんですが、ここに書かれている景公と晏子漫才コンビのようです。

●諌上第一、諌上第二の章では基本的に、君主(ほとんど景公)が何か失敗したり勘違い発言をするのを晏子が諌めるパターンになってます。景公という人は暴虐ではないし、民を愛する心も持ってはいるのですが、贅沢や安楽に流れる凡愚な人です。それで失敗が多く、そのたびに晏子に諌められます。諌められると反省しますが、長くは続きません。それでまた失敗します。晏子の立派さが君主のボケによって引き立てられるという、面白い風景になってます。

wiki晏子の項目にエピソードが載ってます。また、こちらのサイトでは「晏子春秋」が読めます。
http://www.h3.dion.ne.jp/~china/ansi.html
楚の霊公への使者となったエピソード(雑下第六の第十)「犬の門」「不肖の国には不肖の使い」「橘化して枳となる」なんかが好きですね。晏子は実に切れのある返しをする、しゃべりの上手い人に書かれています。もうこのままグローランサにパクってしまいたい面白エピソード…いやいや。