軍隊魔術

Epikt2007-07-13

酒見賢一に『周公旦』という小説があります。殷(商)を倒して周王朝を開いた武王と、その子成王を補佐した周公旦のシャーマンとしての力を書いた話です。「礼」の力について、ということなので、孔子顔回を書いた長編『陋巷にあり』とリンクしているかもしれません。なお小説なので史実としての正しさを求めるな、と著者も言ってます。

●この中で殷との決戦に入る前に武王が軍の前で読んだのが太誓で、これは周公旦の書いたものとされてます(文はちくま学芸文庫の『史記I本紀』小竹文夫・小竹武夫訳による)。

「殷王紂は、婦人の言を用いて、自ら天命を失い、天地人の正道を壊し、王父母弟を遠ざけ、祖先の楽を棄てて淫楽をつくり、生音を乱して婦女をよろこばした。それゆえ、今われ発は、ここに敬んで天の罰をおこなう。将士らつとめよ。ただ一度の機会、二度となきこと、三度となきこと」

具体的に悪事を糾弾し、天罰を強調することで、諸部族の軍から王朝の主である紂王を攻めることの後ろめたさを払拭する効果を狙ったものだそうです。また言語のちがう異文化の部族にも力を与えるために韻を用いてあるのだとか。

●最後の戦場となる牧野に入る前に読んだのが牧誓です。これも周公旦によります。「ああ、わが有国の大君はじめ、司徒・司馬・司空・次卿・衆大夫・師氏・千夫の長、および庸・蜀・羌・髳・微・纑・彭・濮の八国蛮夷の人々よ、なんじらの干をならべ矛を立てよ。わしはいま誓いを立てよう」という呼びかけから入り、

「古人は言えり。牝雞は晨を告げず、晨を告げるは家の滅びのしるしと。いま殷王紂は、ただ婦言を聴いて祖先の祭祀を報ぜず、暗愚にして家国を棄て、王父母弟をすてて用いず、四方の罪多く逃亡せる者を崇んで長とし、信じて用い、百姓を暴虐し高国を残害す。ゆえに今われ発は、ここに敬んで天の罰をおこなう。今日のこと、ただ六歩七歩にしてとどまり、止まって軍を整えよ。つとめよ将士ら。敵を撃ち刺すも四度五度、多くも六度七度にとどめ、止まって軍を整えよ。つとめよや将士ら。こいねがわくは威武桓々、虎のごとく羆のごとく豺のごとく離のごとく、商郊の牧野に武勇をあらわせ。逃れる敵はみだりに殺さず、これを西土の役とせよ。つとめよや将士ら。なんじらもつとめずば、なんじらの戮せられん」

これには

  • 殷王の悪を糾弾し、正義の戦であることを強調する。
  • 勇猛さのみでなく、節度をたもたせる具体的な指示。
  • 野獣の獰猛さを呼び覚まさせる呪術的効果。「虎のごとく〜」
  • 厳粛な誓願であり、違背は許されないこと。

などが込められており、「戦争呪術の範疇のものである」とされています。

●周としては殷を倒すだけでなく、新たな王朝を立てるためにその国民の支持も得たかったので、戦争後の略奪や虐殺は避けたいという状況でした。実際その種の騒ぎはなく(記録されておらず)、無事におさまったのは周公旦のこの文章の力である、ということでした。